
銚子市犬若
この画像は一見ヨーロッパみたいな雰囲気にも見えますが、実は私の実家である千葉県銚子市犬若のエリアで金目鯛の水揚げで有名な外川漁港の夕焼けを撮影したものです。
私の生まれた所は東京都東村山市恩多町という所で1967年9月15日17時15分に生まれました。
そこで小学校1年生の夏休みまで過ごし父親の仕事先の社宅がある東京都中央区勝どきへ引っ越しました。
生まれたところはとても人口密度が少なくてのどかで昆虫、特にクワガタが桃の木に引っ付いているような子育てにうってつけの地域でした。
引っ越し先はというと、こちらは正反対の大都会、東銀座にある歌舞伎座を見て大きな銭湯だと言ったり、1973年当時は勝どき自体住民は少なくて鉄工場、常温製品の倉庫、アイスクリーム工場、小規模でしたが食品加工場、水産加工場、鉄骨原料の資材置き場、豊海埠頭まで行くと今でもありますが営業倉庫がたくさんあり、働く人はたくさんいて活気のある町でした。
住民の多くは築地市場勤務や銀座のホステス、などちょっと毛並みの違う雰囲気でした。
ちなみに日曜日は非情に閑散としていました。
私はそこで20歳まで父と母と兄と社宅で暮らしました。
父の生まれは銚子市愛宕町というところで銚子電鉄の本銚子という駅の近くでよくおじいちゃんに遊んでもらったのを覚えています。
母の生まれは銚子市川口町という所で海の近く、海といっても船を係留する岸壁がたくさんあるエリアで印象としてはイワシの加工場が隣に合って生臭かったのを覚えています。
さらに掘り下げると父の父は茨城県稲敷の方で生まれたとの情報は知っていますがそれ以上は今度父からインタビューしてみます。
母型の流れを聞くとどうやら和歌山県人が移り住んできた人だとの事で、千葉県と和歌山県は同じ地名がある証拠に漁師さんが移住したという説があります。
那智勝浦や白浜など和歌山の地名そのまま使用したとの説や、沖合で漁獲される魚種や時期も近いのと湿気が多いって事で発酵調味料である醤油製造も盛んでした。
和歌山県人のお墓もあるくらいで姉妹都市みたいなものかと印象にあります。
そして父母定年退職後に犬若の丘の上の海の見える土地を買い家を建てて今も二人で暮らしています。
母はそこのアトリエで生徒さんに油絵を教えており、まるで絵にかいたような余生を暮らしています。
その家を私は「地球の丸く見える家」と呼んでいます。
↓二階の窓からの景色、本当に地球が丸く見えますよ♪
