バブル時代の銀座8丁目は

実際の体験でしたので実名入れちゃいます。

義母が銀座8丁目でスナックを開業する前に勤務していた高級クラブは、ラドンナという店で政

界人、財界人、芸能人などのトップクラスのお客様でにぎわっていたそうです。

その店では大ママの方針で、ホステスにはソフトドリンク以外出さなかったそうです。

なのに義母だけはボトル一本開けてもびくともしないほど強かったため飲んでもよろしいとの

許可が出ており、小林亜星さんや、ゼブラボールペンの創業者などと豪快に酒を飲み交わすこ

とが多々あったそうです。

その後義母は姉と組んで起業し子ぶりながらも8丁目アマンドの地下一階に”高”という店を構え

ました。

毎日毎日接待のお客様でごった返していました。

お客様の中には、霧島や梨花(芸能人)の父上もいました。

梨花の父上は当時、アニーというスナックのオーナーで営業中でもよく歌いに来てました。

当時バブルの時代でしたので、企業では接待交際費がうなるほどあり社員同士で寿司屋などへ

行った帰りに寄ってくれて請求書送っといてね、なんてのはざらにありました。

来期の予算を削られたくないなんて理由で水増し請求してよーなんてのも冗談で話すぐらい経

費の無駄遣い過剰な時代でした。

私はかみさんと知り合ってからちょくちょく手伝いに入っていたので店を閉めてからよく連れ

まわされましたので面白い店に行ったのを覚えています。

コリドー街側のビルにある”柳”というおかまバーが好きでしょっちゅう連れて行ってもらいまし

たが、かなりヤバい店でした(笑)そこのママ、年の頃は60ほどのおじさんですが、日本髪の

かつらをかぶって和服を来てドウランつけてなんか遊郭に来たような雰囲気で男が大好きみた

いで私も良く抱きつかれてあちこちもまれました(笑)

義母曰くオカマは性格が良いから信用できるっと言って夜な夜な一連部隊で飲み歩いていまし

た。

こんな生活でずいぶん特殊な体験をさせてもらえたと思います。

その当時はLGBTなんてなかったのでおかまは社会的にどうなの?ってイメージでしたが、財

界、政界のお偉方こそアブノーマルを好んでいた気がします。

今でも大分市民権を得たのがおかまたちで、大昔から仲良かった私は時代の最先端を行ってた

のかな?

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