銀座のスナックで手伝っていた当時有線放送の契約をしていたのでBGMで洋楽が流れていまし
た。
そして有線放送へは電話をしてリクエストも出来たので、よくディスコソングを依頼してはボ
リュームを最大音にして踊りまくっていました(笑)
手伝い初めのころ私はビールかジントニックしか飲めず(ディスコで飲みなれてたせい)
ウイスキーとか日本酒の味が苦手でしたのでお客様に飲みなさいと言われてもほんの少し舐め
る程度しか飲めませんでした。
今思えばそれが長く続いた結果なのかとも思いました。
何でも呑めてガンガンやってたらお客様が目減りしてたはずですし(笑)
しかしその分義母がガンガン飲んでましたので逆に尊敬していました。
ある時深夜営業取り締まりの手入れが入ったとき、義母はまったく動揺一つしないで、お客様
に向かってコイツラ達公だからこれは仕事じゃない!?
と言い放ってその場をやり過ごした場面もありました。
その場にいたお客様も榎の健プロダクションさながらに客じゃねーと言ってくれて取り締まり
係は豆鉄砲食らってイソイソ帰ったのですが。
凄いチームワークでした(笑)
なぜか私はいつもお客様の息子ってポジションになってましたので(笑)
ある時期取り締まりが定期的にあり、日にちが変わってからの営業はうるさいので内側から鍵
を締めてまで飲んでたこともありました。
そんな場面を知っているお客様はアマンドの赤電話から電話をかけてきてまで飲ませろー
っ!?
てな調子で何時になっても客の絶えない店でした(笑)
今思えば呑み助つまり我が家へ帰るのが嫌いなおじさんが多いこと多い事・・・・
それで儲かってたので否定はできませんが(-_-;)