幼少期の体験がDNAを独走させるのかな??

子供たちがある程度大きくなった時にはナス、トマト、キュウリの栽培を一緒にやりました。

こういうことは小学生になると必ずやりますがしゃべれるようになるくらいでやってみせたほ

うが深く追求したりほんの小さな変化でも驚いたり感動してくれます。

私も確か2歳ぐらいの時、生まれた東村山の母親が借りてた家庭菜園エリアは赤カブと他にも

いろいろなものを栽培してまして朝早起きして、母親とそれの収穫をしに行き家へ持ち帰って

サラダに入れて食べてました。

これって元祖食育かなと思います。

この経験からかホントに昔から食べ物を捨てられません。

捨てることの罪悪感が激しいです。

だから私も子供たちにこの教育をしたいと考え実行しました。

野菜じゃなくて魚でもいいんです。

もし近くに海とか川があって一緒に釣りしに行って釣れた魚を料理して家族で食べる。

確か私の家の近所にも運河(隅田川)があってそこではハゼが大量に釣れるので、たくさん一

緒に釣ってきて一緒に包丁でさばいて天ぷらにして、家族で食べたこともあります。

この手の経験は早ければ早いほどいいと思います。

小学生より前にやってあげることができるのであれば食べ物の価値感に対する尺度が変わりま

す。

狩猟免許があって鉄砲を持っているのであれば本来一番いいのは、畜肉でイノシシとかエゾジ

カとか鴨なんかが1番効果的ですね。

命の食べ方という映画がありますが大きくなってそれを見るよりも小さい時のこの手の経験の

方が必ず心に響きます。

私の教育方針としては現実に体験したこと以外は、ただ本で読んだ情報に過ぎません。

実際にその場にいて手で触ったり、匂いをかんだり、音を聴いたり、痛い思いをしたり、味わ

ったりとは全然違います。

今インターネットでどんな情報でも、瞬時に手に入るんですが、実際の現場を体験した人には

どんなに理屈言っててもかないません。

なので私はどんなことでも体験・経験を実行することに対して何の抵抗も否定もしません。

私のDNAは物欲でなく体験欲を求めることをミッションに価値判断しているみたいです。

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